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東京高等裁判所 昭和62年(ラ)587号 決定 1988年2月22日

抗告人

安倍義雄

右代理人弁護士

安倍正三

小村享

相手方

持田製薬株式会社

右代表者代表取締役

持田英

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一  本件抗告の趣旨及び抗告の理由は、本件抗告状記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

当裁判所も、抗告人の本件仮処分申請は、被保全権利の存在につき疎明がなく、かつ、保証を立てさせて疎明に代えることも相当でないと判断するものであり、その理由は、次につけ加えるほか、原決定理由説示(ただし、原決定書四枚目裏九行目中「部付」を「部長付」に改める。)と同一であるから、ここにこれを引用する。

1  抗告理由一、二について

抗告人は、相手方による抗告人雇用の目的はマーケティング部部長という職務上の地位に特定されたものではないと主張するけれども、記録によると、相手方会社では、昭和五〇年後半以降医薬品業界をめぐる経済的、社会的環境の急激な変化に対応し同業者間の熾烈な競争に打ち勝つため、マーケティング部を新設し、斬新な発想と活動力を求めあえて外部から抗告人を採用したものであり、相手方が抗告人に期待したものは、利益確保、売上げ増強、シエア拡大につながる即戦力となることであって、抗告人をマーケティング部長適格者として採用し、抗告人もその旨を了承したうえ右両者間に雇用契約を締結したものであること、ただ、当分の間部長付部長(身分は次長)に任命したのは、抗告人がマーケティングの専門家ではあっても相手方会社や医薬品業界の実情に疎いためこれらの修得期間であると同時に相手方としても抗告人の能力を観察する期間が必要であると判断したためであって、給料も賞与、支度金等の支給額を含めると年収一〇〇〇万円強となり、これは破格の待遇であることが疎明され、右疎明の事実に照らすと、本件雇用契約は、抗告人をマーケティング部長付部長(身分は次長)として、その職種と地位を特定してなされたものというべきであり、これに反する抗告人の主張は採用できない。

2  抗告理由三について

記録によると、相手方会社では、渡辺専務の下で抗告人に対し、当面の任務として、(一)薬粧品のマーケティング活動を行うこと、(二)各部間の意見、業務進捗状況の調整を行い、バランスのとれた積極的なマーケティングの実現をはかること、(三)マーケティング部員の指導育成につとめること、(四)部下の評定など人事労務の権限を行使することを指示し、殊に、一般消費者の需要動向に関する基礎的データーはマーケティングに不可欠であるから、その動向把握のため、訪問すべき得意先や卸先のリストを交付して特に実情調査を指示したにもかかわらず、全国一五六卸店中重点卸四〇店、販売員の定期訪問薬局五〇〇〇店のうち抗告人が訪問したものは一〇店余にすぎず、その他のマーケティング・リサーチのため自ら行動しあるいは部員に指示することもなかったし、相手方が要望したマーケティング部員に対するマーケティングに関する実践的教育・指導も実効が得られず薬粧事業部政策会議においても抗告人による具体的発言ないし提案は行われなかったこと、また、抗告人はマーケティングプランの策定をせず、薬粧の販売方法についても、相手方の指示ないし期待した具体的な提案をしないで会社内部の前近代的体質の改善が急務であるなど抽象的、仮説的意見が多く、昭和六〇年八月一九日の「薬粧マーケティングの基本方針」と題する抗告人の発表も、販売促進に関する具体的提案に乏しく相手方の期待を裏切るものであったこと、そのため社内には抗告人に対する批判が沸き起ったため相手方は抗告人に対し理論だけでなく実践活動に重きを置くよう指導したが反省の態度が見られなかったこと、昭和六〇年一二月一六日抗告人から相手方五十島人事部長に対し唐突に近く施行される参議院議員選挙にサラリーマン新党から社員の身分のまま立候補することが可能か、その際政治資金として二〇〇〇万円の寄付ができないかなどと申し入れ、その後、相手方に対し何らの了解のないまま昭和六一年二月一八日の新聞に抗告人がサラリーマン新党の参議院議員比例代表区候補予定者として発表されたため、相手方としては右は職務専念義務違背であり、も早抗告人との信頼関係の維持は困難であるとして抗告人の解雇を決意したこと、以上が疎明され、疎甲第一一ないし第一四号証中前記疎明に副わない部分は採用し難く、他にこれを覆すに足りる資料はない。

右事実に照らすと、原決定に抗告人主張のような事実誤認はない。

3  抗告理由四について

相手方が抗告人を就業規則第五五条第五号、第一号により「雇用を継続されることができない止むを得ない業務上の事情がある場合」に当たるものとして解雇したことは当事者間に争いのないところであるが、前記疎明事実に照らすと、抗告人の勤務態度ないし勤務状況はマーケティング部長付部長(身分は次長)として雇用された抗告人に対する相手方の信頼と期待とを裏切り、雇用契約の目的を達することができないものと認められるから、これが右就業規則でいう「雇用を継続させることができない止むを得ない業務上の事情がある場合」に当たるものというべく、これが不当をいう抗告人の主張は理由がない。

三  したがって、抗告人の本件仮処分申請を却下した原決定は相当であって、これが取消しを求める本件抗告は理由がない。

よって、本件抗告を棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 館忠彦 裁判官 牧山市治 裁判官 小野剛)

抗告状

原決定の表示

本件申請を却下する。

申請費用は債権者の負担とする。

抗告の趣旨

原決定を取消す。

相手方は、抗告人に対し、金六七二万一〇〇〇円並びに昭和六二年四月以降本案判決確定に至るまで毎月二七日限り金五一万七〇〇〇円を仮に支払え。

申請費用は第一、二審を通じ、相手方の負担とする。

抗告の理由

一 原判決は、抗告人と相手方間の雇用契約は、マーケティング部部長という職務上の地位を特定したものであったと認定したうえで、その地位に相応した能力を抗告人において発揮しない限り、契約の趣旨に従った履行をしているとはいえず、就業規則所定の解雇事由である「私傷病による精神または身体の故障、障害のため業務に耐えられず、かつ回復の見込みがないと認められるとき」に準ずる場合として相手方は抗告人を解雇することができるという。

しかしながら、以下のとおり原決定は、事実を誤認しているばかりでなく理由そごの違法があるものであって不当極まりないものである。

二 即ち、原決定は、まず抗告人と相手方との雇用契約は、マーケティング部部長という職務上の地位が特定された契約であったと断定している。しかし、抗告人は入社に当たって右職務でなければ入社しないとの意思を表していたわけではないこと、現に、相手方は抗告人をマーケティング部部長付部長(身分は次長)に任命する一方で、同部の最高責任者たるマーケティング部長を渡辺専務(当時)に兼務させていたこと(疎甲第三四号証)、抗告人を部長付部長(身分は次長)としたのは、抗告人がマーケティングの専門職といっても医薬品業界についての経験がないことからこれを学ぶ期間が必要であると判断していたこと、更に、相手方が抗告人に期待していたのは、主として薬粧品の販売戦略、販売方法等についての具体的提案であって、これによって販売シェア拡大の即戦力に期待をかけた等の事情から考えれば、少なくとも相手方の意思としては、マーケティング部の最高責任者たる地位に限定した雇用契約を締結したとは考えていないことが明らかである。

従って、原決定が、本件雇用契約は、マーケティング部長たる地位を特定した契約であったと断定していることは事実誤認である。

三1 次に、原決定は、抗告人の勤務状態のうち、マーケティングプランを策定しなかったこと、そのなかでも特に薬粧品の販売方法等に具体的な提言をすることを期待されていたにも拘わらず、執務開始後七ケ月になっても、そのような提言を全く行っておらず、そのための努力もしていないと認定している。

しかしながら、右認定は、事実と異なっており極めて不当である。その理由は以下のとおりである。

2 即ち、抗告人は、入社後直ちに渡辺部長から当面のマーケティング活動の主力を薬粧品に置くよう指示された。そこで、抗告人は、コラージュ(基礎化粧品)、ニュートロジーナ(石鹸)、スキナ(清拭剤・沐浴剤)等の薬粧品別の過去の営業成績表を取寄せ、検討した。そうしたところ、相手方は、直接の取引先である卸商に対する売上高等についてはデーターが整っているものの一般消費者との関係のデーターは極めて乏しいことが明らかになった。

マーケティングとは、一般消費者の需要動向を常に把握して、いつ、どれだけの最適商品をどのように供給するかという、対策を工夫することであるから、一般消費者の需要動向の基礎的データーは必要不可欠であり、右ダーターがない以上、現状での問題点を把握できないし、対策も立てようがないものである。

そこで、一般消費者の需要傾向を把握するために、モニター葉書の分類方法の改善、デパート派遣店員との面談(夕食会)の実施、卸商との面談等を通じて、基礎的データーを収集するべく提案し、かつ実行していたものである。

3 また、相手方が、把握していた卸商に対する売上高等のデーターにしても、期末になると急激に伸び、期首になると急激に落ち込むといった不自然な傾向が強く、営業部門で数字を作意的に操作している疑いがあり、信頼性に乏しいと抗告人は判断した。

そこで、抗告人は、卸商を訪問し、面談のうえ、キャンペーン後の実態を調査したり、押込み販売等の営業活動がないか否か、不良在庫の有無等を調査していたものである。

即ち、抗告人は現状の基礎データーがあまりにも不完全であったため、そのデーターが正しく報告されてこないような企業体質、つまり、従業員の前近代的体質をまずは改善する必要があることを痛感し、常々指摘し続けていたものである。相手方は、抗告人の勤務態度について、自席に居るときは電卓をたたいて細かい数字を出して書類を作成していたとして、いかにも無用のことをしていたように強調しているが、先ず、右の実態を正確に把握すべく努力していたのが、この抗告人の勤務態度であったのである。

4 ところで、相手方は、抗告人が入社当時、既に毎月薬粧政策会議を開催していた。出席者は、持田社長、渡辺専務(後、副社長)、薬粧部長、開発ディレクター、広告ディレクターらであったが、抗告人は、右会議に出席を要請され、入社後は毎回出席していて、欠席したことはない。

右会議では、営業幹部自らが、例えば養毛剤グローリッジの容器の色をどうするかとか、外粧箱をどうするか等の各薬粧品目別にコストダウンの方法等の細かな検討を加えており、薬粧品のマーケティング活動の面をも有する会議であったため、抗告人は、渡辺副社長に対して、薬粧品担当プロダクトリーダーの同席を特に求め、以後、抗告人及び薬粧品担当プロダクトリーダーとともに右会議に積極的に参加し検討していたものである。

5 原決定は、抗告人がマーケティングプランを策定しなかったというが、抗告人は、昭和六〇年八月一九日の会議における流通チャンネル(新しいネットワーク作り)と題する報告において、薬粧品の品目別小売店網の構築あるいは直販をすれば、一般消費者のきめこまかな消費傾向が把握できるし、効率よい流通組織ができることのメリットをあげて、提案している(乙第二一号証の一)。

また、事業部制の導入の是非についての意見を求められたため、「事業部制の導入によるプラスとマイナス」と題する報告書によって、現状ではマイナスであるとの意見も提出している。

6 従って、抗告人は、薬粧品の販売方法等の具体的提案を出しているし、よりよい提案を出すべく職務に精励していたものであって、原決定は事実を誤認している。

7 なお、相手方は、抗告人に対し、反省と仕事の進め方を改善するよう、渡辺副社長が五十島人事部長を介して指示したというが、そもそも、抗告人の上司は渡辺副社長であって、ラインの上司でもない人事部長が、職位上部長付部長(身分は次長)の上位にあるからといってマーケティング部の業務上の指示指導をするなどということは職制上あり得ないことはあまりにも明らかなことである。

五十島人事部長が抗告人に反省と改善を求めたという内容にしても、相手方会社の従前の閉鎖的後進的体質から即戦的成果を期待するための要望に過ぎないものであって、部外から就任した抗告人がじっくりと実態を把握して有効適切な政策的提言をしようと努力していたことに対し余裕をもった理解を示すことなく、近視眼的に瑣末な事柄を取り上げて抗告人に要望したものである。従って、抗告人が五十島人事部長の要望に直ちに従わなかった点があったとしても幹部職員の解雇事由として取り上げるべき事柄ではない。

相手方が職制任期中の抗告人の解雇に執念をもやすようになった真の原因は抗告人が参議院議員選挙にサラリーマン新党から立候補する考えのあることを表明したことにある。従来から、保守党とかかわりを持ってきた相手方会社として、幹部職員が野党から立候補することは都合が悪いので、これを好機として抗告人の退職を求めることにしたが、抗告人が直ちに退職しない意向を示したことから、あわてて解雇通告の挙に出たというのが事の真相である。相手方としては、国会議員の選挙立候補の意向表明をもって解雇事由に掲げることの不当を考え、それまで特に問題にしていなかった抗告人の勤務態度等の幹部職員の解雇事由には到底ならない瑣末な事項を取り上げて解雇の正当性を理由つけようとしているのが、相手方の本件における真の姿である。抗告人が立候補の意向を表明しなければ本件は起きなかったのである。しかも、抗告人はその後自主的に立候補を思いとどまり、マーケティング部長付部長の職務に支障となるような選挙活動などは行っていないから、抗告人の立候補意向表明に関して解雇事由を構成することはできない。

四 ところで、原決定は、抗告人が雇用契約の趣旨に従った履行をしないこと、即ち、マーケティング部長に相応する能力を発揮しないことは就業規則上の解雇事由である「私傷病による精神または身体の故障、障害のため業務に耐えられず、かつ回復の見込みがない」(第五五条一号)との場合に準じて「雇用を継続させることができない止むを得ない業務上の事情がある場合」に該当し、解雇権を行使できるという。

しかしながら、本件就業規則が解雇事由を限定的に規定したものであることは、当事者間に争いがなく、かつ原決定も、これを認めるところである。

従って、解雇事由の解釈に当たっても限定的に解釈すべきことは当然であるはずなのに、原決定のように同規則第五五条一号は、「雇用を継続させることができない止むを得ない業務上の事情がある場合」の例示であると類推し、右業務上の事情がある場合には、同条五号によって解雇事由が存するという解釈をするのであれば、いわば就業規則上解雇事由として包括的な一般条項を定めているのと同じことになり、本件就業規則が解雇事由を限定的に規定したとする原決定の認定と明らかに矛盾するものであって、原決定には理由そごの違法がある。また、抗告人の身分が部長ではなく、次長待遇であることについても原決定の判断には、理由不備ないし理由そごの違法がある。仮に、抗告人の勤務成績ないし勤務態度が雇主たる相手方の期待に添わない点があったとしても、就業規則上、解雇事由には該当しないものと解すべきである。これを解雇事由に当たると解することは、抗告人の正当な勤労権を違法に侵害するものであって憲法第二七条にも違背するものといわなければならない。

五 以上のとおり、原決定は違憲、違法かつ不当であるから直ちに取り消されるべきである。本件は抗告人の生活権にかかわるものであるから、抗告審の適正、迅速なご判断を求める。

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